2.その人見知りは言葉の代わりに汚物を吐いた。

このブログは、とんでもない田舎に生を受けた人見知りの少年が、やがてコミュ力お化けになり年収3,000万超えを果たす迄の軌跡である。

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その赤子は生まれて直ぐにカプセル生活を強いられたが、二足歩行が出来るまでに育っていた。

生死の境を彷徨った赤子も、それなりに大きくなっていたのだ。
少年はとんでもない田舎で人間としての道を歩んでいた。

どれだけの田舎かと言えば、道は砂利道であったし、電柱は木製だった。
トイレは勿論ボットン便所であるし、夜間は野良犬の群れが走り回り、毒蛇やカモシカは常に目撃していた。

そんな環境下で少年は親の愛を多分に受けて育った。
だがしかし、少年の成長のベクトルは決して真っすぐではなかった。

少年は田舎ながらの保育所へ入所した。
0歳から6歳まで入れる一般的な保育所だ。

少年は年少の頃に入所したが、直ぐに退所している。
親も何かを感じたのだろう。
言葉を選ばず言えば、今でいう社会不適合者だったのだ。

少年の幼少期の写真を見る限り、表情は豊かである。
だがそれは親へだけ向けられたものであった。

少年は、5歳の時に保育所へ再入所する。

勿論同い年が揃っていて、面子は変わらない。
だが少年は、ここで極度の人見知りを発揮する。

挨拶が出来ない。

これが少年の一番のウィークポイントであり、ストレスだった。
保育所にはお決まりの挨拶がある。
一つ例を挙げるとすれば退所時の挨拶。

「先生さようなら♪みなさんさようなら♪明日も仲良くしましょうね♪」

コミュ力お化けとして認識されている今でも、あの時を思い出すと些か気が滅入る。
当時、少年はその挨拶が過度なストレスであり、挨拶中に必ず嘔吐していた。

と言うより、親以外との会話が全てストレスであった。

病気を患い病院へ行き、医者に「今日はどうしたか?」と問われただけで嘔吐。
近所のおばさんに「おはよう」と言われただけで嘔吐。
街に出掛け、屋台のたこ焼きが食べたい。
親に「買っておいで」と言われれば買いに行く行為がストレスで嘔吐。

病院にて「自家中毒」と診断され、親が激怒していたことは鮮明に覚えている。
自分のせいで親が揉めている。
またそれをして嘔吐。

兎にも角にも、この少年はおよそ将来大成する様な素質はまだ微塵も見せていなかった。

だがその少年に、ある日転機が訪れる。

続く

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